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帝王肖像図ペルシャ絨毯

意匠名 : 肖像図 (タスヴィーリー)

製作地 : イラン・カーシャーン

製作年代 : 1910年代

サイズ : 202×133cm

パイル素材 : 羊毛

織り密度 (結び・横×縦/cm) : 8×7

ダラ・コレクション 蔵

ガージャール朝(1779-1925)第7代シャーであり、かつ最後のシャーとなったアフマド・シャー・ガージャールの肖像図ペルシャ絨毯で、1910年代の終わりに、カーシャーン(カシャーン)の工房で製作されたと伝えられている。

この王の肖像図は伝説上の勇者や逸話を題材とした従来の帝王図とは異なり、ある種、政治的意図をもって製作されたものと思われ、本作以外にも、他にいくつかの類例を見ることができる。

アフマド・シャー・ガージャールは、ロシアに亡命した父モハンマド・アリーの跡を継ぎ1909年に弱冠11歳で即位したが、1925年、26歳の時、レザー・パハラヴィーが主導した国民議会により、シャーの地位を追われ、フランスへ亡命、1930年、32歳の若さでパリ郊外の高級住宅街ヌイイ=シュル=セーヌで病没している。

従って、アフマド・シャー・ガージャールの肖像図ペルシャ絨毯の製作年代は、アハマド・シャーが即位した1909年から、退位に追い込まれた1925年までのものとなる。政治的色合いが濃く、また、とくに人気の高い王でもなかったアハマド・シャーの肖像図が、ガージャール朝終焉以降、パハラヴィー朝やイスラーム革命後のイランにおいて製作されることは考えにくく、その製作年代は図像に表された年齢相当と見ることができ、1910年代の終わりに、製作されたと伝えられる本作の製作年代も間違いないものと思われる。

 

次に、この肖像図絨毯について見てみると、メフラーブ花瓶文の構図を額縁のように扱って、その背後にアハマド・シャーが着座しているところを織り込んでいる。

鳥の羽飾りのついた帽子を被り、剣を携え正装した定番のスタイルである。絨毯には頭部両脇部分のカルトゥーシュ内に文字が織り込まれており、右の星型カルトゥーシュには、アル・ソルターン・オッ=ソルターンal Soltan-os-Soltan、すなわちペルシア語でいうシャーハン=シャーShahan-Shah「王の中の王」という言葉をアラビア語表現にしたものが挿入され、左の星型カルトゥーシュの中にはアハマド・シャー・ガージャールAhmad Shah Qajarと織り込まれている。

周囲のボーダーのカルトゥーシュにも、ペルシア語でフレーズが織り込まれ、メヘラーブ絨毯らしい構成となっている。

足下に敷かれているのはボテ文の総柄絨毯のようである。座っている椅子は正面からの視点を少しズラして立体感を出そうとしている。織りの密度も高く、よく織りあがっている。製作者は不明だが名のある工房の作品と思われる。特定できる材料がないため支持はできないが、巷間、本作がカーシャーンの伝説的工房、モホタシャムの作とされてきたのも、納得できない話ではない。

 

解説文

真鍋保夫

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