絨毯と云えば、レッドカーペットを連想する人が多く、貴人の歩く通路に丁重なもてなしのためレッドカーペットが敷かれ、このことが絨毯そのものの象徴とまで化している観があります。では何故絨毯は赤だったのか、そのひとつの回答に、ギリシア悲劇の中にその源泉を求めるものがあります。
●アガメムノーンの帰還
最も時代を遡る赤い絨毯は、紀元前458年の春、アテーナイのディオニューソス祭において上演されたアイスキュロスによるギリシア悲劇「オレステイア」三部作の『アガメムノーン』の中で扱われています。
『イーリアス』や『オデュッセイア』、トロイアーの木馬などでお馴染みのトロイアー戦争。トロイアーの都イーリオンを攻略し、ミュケナイに帰還したギリシアの総大将アガメムノーンを待ち受けていたものは、彼の暗殺を企む王妃クリュタイメーストラーと一族の血にまみれ呪われた運命でした。くだんの赤い絨毯は、王を出迎える王妃とのやりとりの中に登場します。王妃はアガメムノーンを出迎えるために、車から館への道筋を紅の高貴な貝紫の布で敷き詰め、凱旋王としてその通路を通るように促します。王は、貝紫の染織りのような銀にも値する高価な織物を踏みにじることを拒みますが、問答の末、分が悪くなった王は畏れを懐きながらも履物を脱ぎ、王妃の指示に従います。この場面は、古今の演劇史上最も有名なシーンのひとつに数えられています。古代ギリシアでは、織り布はきわめて高価なものとされ、宗教的儀式やそれに準ずる場合のみ用いられ、その上を人が歩くということは、思いもよらないことだったといわれています。ましてや貝紫で染められているのですから…。この貝紫の紅の織り布が、のちに赤い絨毯に置き換わっていったのでしょうか。
●貝紫とは
貝紫は、帝王紫や古代紫と呼ばれることもあります。しかし、日本の色でいう帝王紫や古代紫は、明らかに紫系の色ですが、アガメムノーンで「貝紫の紅」と表現され、古代ギリシアやローマで珍重された貝紫の色(ティリアン・パープルTyrian purple)は『理化学辞典』にも記載されているように「紫に近い深紅色」です。ちなみに貝紫はアキクガイ科の巻貝の鰓下腺(通称パープル腺)から分泌される乳白色~淡黄色の液が酸化されることによって発色する色で、なんと2000~10000個から1グラム程度しか採取できないといわれる、収集に手間のかかる貴重な色素です。そのためこの貝紫で染められた織物は、ギリシア、ローマの一部の貴人しか所有できなかった高価なものであったといわれています。また、パープルpurpleという言葉は、「王位」や「帝王の」といった意味をもち、中世までのパープルという語は、さまざまな調子の赤を指す言葉であったともいわれています。
●王家の象徴
洋の東西を問わず赤は紫とともに高貴な人の色として、また王家を象徴する色として使用されてきました。ロンドン、ピカデリーの劇場で赤いロールカーペットが敷き延べられると、ロイヤル・ファミリーの観劇があることが想像できます。天皇家が出迎える国賓の足元には必ず赤い絨毯が見受けられます。王家の歓迎に欠かせないのが赤い絨毯のようです。ロイヤル・ウェルカムRoyal welcomeとは盛大な歓迎という意味で、赤い絨毯は、やがて丁重な歓迎を示すシンボルとなっていきます。
●絨毯を広げる
赤い絨毯、レッドカーペットという言葉が定着するのに、roll out red carpetなどのように成句が果たした役割も見逃せません。roll out one’s red carpet for~など、~を歓待するといった意味になります。1821年にサウスカロライナ州のジョージタウンを訪れたモンロー主義で知られるジェームズ・モンロー大統領は、文字通り歓待され、ロールアウトされた実際の赤い絨毯の上を歩いたという記録が残っているそうです。長尺の絨毯がつくられるようになって、巻いた絨毯がクルクルと伸ばされることが可能になって最初の公的な記録かも知れません。
●貴人のもてなし
レッドカーペットが含まれる成句にred-carpet treatment (丁重なもてなし)というのもあります。世界的に有名な列車に「20世紀特急」というのがありました。ヒチコック監督の「北北西に進路を取れ」やポール・ニューマン主演の「スティング」といった映画にも登場する、アメリカの歴史的な特急です。これは1902年から1967年までの65年間、ニューヨークとシカゴの間を走破した豪華列車で、時速60マイルのスピードと、あるスタイルで名を馳せました。そのスタイルとは、乗客の乗降の際に誘導のために敷かれる深紅のカーペットで、ここからred-carpet treatmentという言葉が生まれたといわれています。
●アカデミー賞
ロサンジェルス、ハリウッドのコダック・シアターで開催されるアカデミー賞の授賞式。世界のスターがスポットライトを浴びて赤い絨毯の上を入場する――すでに80回を超える伝統あるアメリカの映画賞です。60回前後を迎えるヴェネチア、カンヌ、ベルリンの3大国際映画祭でもレッドカーペットは欠かせません。2003年の第16回東京国際映画祭では「国際的な映画祭なのに赤いカーペットがないのはおかしい」という石原都知事の提案で100メートルのレッドカーペットが敷かれ、それ以降慣例化されています。シネマの殿堂入りを果たすべく、皆が憧れる華々しい舞台…レッドカーペットは、今や芸能界全般での栄光を象徴する言葉ともなっています。
●国会議事堂
日本で赤絨毯といえば、国会議事堂の通路に敷きめぐらされた赤いカーペットがその代表といえるかも知れません。この赤い絨毯も帝国議会に出席する天皇のため敷かれたのが始まりといわれていますが、今は国会議員の晴れ舞台あるいはステイタスをあらわす代名詞となっています。上製ウールのこの絨毯は、幅1.8メートル、全長4.6キロメートルに及び、金額にして総額2億円を優に超すといわれています。一般見学者も見られるこの赤絨毯は機械織りで、このほか特別室にはさらに高価な手織りの絨毯があるそうで、巨大な堺緞通なども納められているということです。帝国ホテルの赤絨毯も有名で、これは大正11年、帝国劇場には大正13年に敷かれています。国会議事堂が竣工したのは昭和11年ですから、こちらのほうが古いということです。